憲法改正と適正手続

法には権力者も従わなければならない。誤解を恐れずに言えばこれを法の支配と言う。

人権の保障と恣意的権力の抑制を主旨として、すべての権力に対する法の優越を認める法的思想である。権力者をも法の下におくという点に注目しなければならない。権力者の恣意による権力が横暴を極めた場合、政治は権力者の恣になり世は乱れてしまう。

古代ローママルクス・アウレリウスのような賢帝ならばよいが人類の歴史を俯瞰すれば賢帝ばかりではない。また、権力の座に長く座れば権力者自体も変遷する。だったら最悪の事態を想定してあらかじめそのようにはならないような仕組みを作っておくことは有益なことである。

それを法文化したものが「憲法」である。政治家が己の信念に従い権力の座から降りたときに「本懐を全うした」ということはそれはそれで立派なことである。しかし、憲法をないがしろにし、憲法の規範を法律で破ることはいかがなものだと思う。憲法に定められた手続きに従って行うことが求められなければならない。

結果も大事だが、憲法の規範を守らずに憲法の規範を骨抜きにすることは、悪しき先例をつくることになり、そのことこそが日本の将来に禍根をのこさねばよいが、と私は危惧する。巧妙なレトリックを駆使して、そのようなことを為さらずに正面から改正の手続きをおやりになればよいのではないだろうか。

憲法の最大の目的は基本的人権の尊重である。このことのために他のすべての条項がある。もちろん権力者を縛るという憲法の役目であることもそれに含まれる。解釈をしつくして、これでも、その目的が達せられないのであれば適正な手続きを踏んで憲法を改正すればよいのである。実体を実現するためには適正な手続きが必要なのである。今、手続上の瑕疵を看過すれば将来に禍根を残すことがあり得ることに気づくべきである。「正義」を貫くためなら何をやってもよいことにはならない。