講演で求められるもの

明日はあるところで相続に関してのセミナーの講師をする。いままで何回かそれをしているが、相続に限って言えば、ぼくの講演を聴く人のニーズは人それぞれということだ。そのような人々に通り一遍の法律の知識では関心を持ってくださらないであろうことは、ぼくの少ない経験から言っても容易に想像できる。だが、なんという法律のどの辺に相続についての規定があるかについては把握してもらいたいとぼくは思っている。

 

相続に関しては、本屋に行けば多くの書籍が容易に入手できる。インターネットで検索すると実多くの書籍がラインアップされる。その書籍を読めば必要な知識は比較的容易に入手できる。そういう時代にあるからこそぼくらが発信すべき知識や知恵はなんだろうか。法律の字ズラを追うことのみでは駄目なのである。字ズラを追ってもそれが意味のないことであるとぼくは言わない。意味はある。講演をする立場であるぼくには、そのこと以上の意義が問われるのである。

 

 

 

 

憲法改正と適正手続

法には権力者も従わなければならない。誤解を恐れずに言えばこれを法の支配と言う。

人権の保障と恣意的権力の抑制を主旨として、すべての権力に対する法の優越を認める法的思想である。権力者をも法の下におくという点に注目しなければならない。権力者の恣意による権力が横暴を極めた場合、政治は権力者の恣になり世は乱れてしまう。

古代ローママルクス・アウレリウスのような賢帝ならばよいが人類の歴史を俯瞰すれば賢帝ばかりではない。また、権力の座に長く座れば権力者自体も変遷する。だったら最悪の事態を想定してあらかじめそのようにはならないような仕組みを作っておくことは有益なことである。

それを法文化したものが「憲法」である。政治家が己の信念に従い権力の座から降りたときに「本懐を全うした」ということはそれはそれで立派なことである。しかし、憲法をないがしろにし、憲法の規範を法律で破ることはいかがなものだと思う。憲法に定められた手続きに従って行うことが求められなければならない。

結果も大事だが、憲法の規範を守らずに憲法の規範を骨抜きにすることは、悪しき先例をつくることになり、そのことこそが日本の将来に禍根をのこさねばよいが、と私は危惧する。巧妙なレトリックを駆使して、そのようなことを為さらずに正面から改正の手続きをおやりになればよいのではないだろうか。

憲法の最大の目的は基本的人権の尊重である。このことのために他のすべての条項がある。もちろん権力者を縛るという憲法の役目であることもそれに含まれる。解釈をしつくして、これでも、その目的が達せられないのであれば適正な手続きを踏んで憲法を改正すればよいのである。実体を実現するためには適正な手続きが必要なのである。今、手続上の瑕疵を看過すれば将来に禍根を残すことがあり得ることに気づくべきである。「正義」を貫くためなら何をやってもよいことにはならない。

 

ニコ一家屋と区分所有法

ニコ一住宅についての疑問があったので自分なりに検討してみた。

相談者、曰く。

1 雨漏りがするからと言って、べつに私が所有する部屋の上の屋根のことではないから、相手が私に雨漏りのする屋根の修理代金を請求するのは不当であり、私に当該代金の一部を支払う責任はない。

2 屋根は相談者と相手と共通である。つまり、共通(相談者とその相手の「部屋」の上の屋根は一見、一つではあるが)ではあるが共有かどうかは、まだわからない。

3 敷地が共有かどうかについての言及はないものとする。

 

まず最初に頭に浮かんだのが区分所有ではないのか、ということである。建物の区分所有に関する法律の適用があるかどうか。この法律の適用があるとすれば、この法律に従えばよい。

建物の区分所有に関する法律(以下、区分所有法、という)第1条 「一棟の建物に構造上区分された数個の部分で住居、店舗、事務所又は倉庫その他建物としての用途に供することができるものがあるときは、その各部分は、この法律の定めるところにより、それぞれ所有権の目的とすることができる。」

この法律によらなければ一棟の建物を区分所有の目的とすることができない、と読める。では、相談者のいう「所有」とは何処から出てくるのだろうか。区分所有法が施行される前であれば、やはり、共有ということになるのか。裁判になったとき裁判官はどの法律を根拠にしたのだろうかと考えるに、それはやはり民法だろうと私は思う。

4 区分所有であると仮定する。そうなると屋根の部分は区分所有法第11条第1項により別段の規約が無ければ、共有となる。とすれば、民法の規定により保存行為をした相手は相談者に応分の費用の支払を求めることができる。

5 しかし、それぞれの部屋が区分所有法上の区分所有の目的ではなかった場合を考えてみる。この法律ができる以前からこのような建物は存在したはずで、当時の法律ではこのような法律的紛争に対応することが困難であったという事情があったはずである。

6 法律ではこうなっているから、こうだ。という言い方は私も時にはするが、実体法上の権利義務よりそれを実現するための手続きが大変だったりすることはよくあることである。それにこの問題を解決に導くための「材料」が少なすぎる。ここは、登記事項証明や、もしあればの話であるが、この「共有らしき建物」を建てたときの契約書あるいは契約書ではなくても「約束事」についてもっと詳細に把握する必要がある。また、双方が納得いく結論が得られなければ訴訟になるほかはあるまい。

 

手紙

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拝啓
お葉書有難うございます。

最近、考えていることは、
歳を重ねるにつれ、
今まで生きてこられたことに対し
お返しをする役目が、
あるのではないかということです。
特定の誰かに対して、というわけではなく。

このあたりは、うまく言えないのですが。
折り返し点を過ぎると、
自分や自分の家族だけではなく
社会というか、世間というか、
それらを包み込むこの世界
とも言うべき何か、です。

具体的に何かをするという
確固たるプランがあるということではありません。
そういう気持ちがあれば
きっと、役目に通じる人生の
扉が見えてくるのではないかということです。

今は、まだ見えていないけれど
もしかしたら、すぐ近くにあるのかもしれません。
                    敬具

新人行政書士さんとの語らい

今日の午後わざわざ名古屋からの来客がありました。先月-8月1日に登録された行政書士としては新人の方です。私の経験知から得た”知恵”を話しました。彼を取り巻く環境を考えると私が新人として行政書士会にデビューしたときよりもはるかに厳しいと思いました。

あまり多くのことを一度に話しても混乱するのではないかと危惧しつつも多くのことを話したと思います。

おそらく相続の仕事が大半を占めるので民法の勉強は欠かせないこと、大学で法律を専門的に勉強してないからー彼は法学部出身ではないー読むとためになると私が思った、又は私が読んで面白かった岩波新書講談社現代新書で、法を扱った書籍を紹介しました。

親書を10冊位デスクに並べて背表紙の写真をスマートフォンで撮っていきました。こころの中で思いました。がんばって下さい。人生で一番のがんばりどころですよ。